好録音探求

 『演奏者の存在を身近に感じられる録音』を求めて・・・
昨日の記事に関連して,最近感想を書かせていただいたいくつかの無伴奏ヴァイオリン/無伴奏チェロの録音で感じた問題をもう少し具体的に述べたいと思います。私が感じる問題は下記の3点です。

(1)残響過多=楽器音と間接音の主従関係の逆転
これは昨日の記事にも書いた点です。楽器の音が第一優先<主>,残響などの間接音は補助的なもの<従>。この主従関係が崩れ,明らかに楽器音よりも間接音の方が<主>になっています。これによって音楽を楽しむ上で大切な音色や質感,ニュアンスが隅に追いやられ,失われているのです。この主従関係を意識した適正な収録・編集が必要と考えます。

(2)残響の<質>が悪い
残響の<質>に関しては,過去に書いた記事「好録音について考える(5) ~ 残響の理想的な取り入れ方1」を参考にしていただければと思います。

上記の記事の中で引用したレキシコンのデヴィッド・グリジンガー氏によると,
  • 直接音に対する遅延が50msec以下の初期反射音は直接音を補強する役割がある
  • 遅延が150msecより大きなものは残響として有効
  • 遅延が50-150msecの反射音は“濁り”の要因となるため抑えなければならない

とされていました。間接音はむやみに取り入れれば良いというものではなく,<従>の役割をきちんと果たすものを選んで取り入れるよう,マイク設置や編集で気を遣わなければならないということです。前述の問題のある録音は,楽器音を大きく濁していることから,間接音の適切な取捨選択が出来ていないと考えられます。

(3)残響が楽器音から分離しない
良質なコンサートホールで聴く演奏は,間接音が多くても楽器音はそこそこ明瞭に聴くことが出来ます。これは過去の記事「好録音について考える(3) ~ 残響のカクテルパーティー効果」にも書きました。ホールの空間を満たす音響は膨大な情報量を持っており,人間はこの情報を使って楽器音と間接音を上手く分離して聴き分けているからではないかと考えています。

しかし,録音しメディアに収めるということは空間を満たす音響のごくごくわずかな情報を切り取り,楽器音も間接音も一緒くたに2chの信号にまとめてしまうということです。そして楽器音も間接音も区別なく一緒くたに再生されます。聴く人は,これを頭の中で「錯覚」という能力を使って仮想的に分離して聴かなければなりません。前述の問題のある録音では,これが一緒くたになったまま全く分離できません。分離するための膨大な情報がほとんど含まれないのですから,何の工夫もなければこうなってしまいます。

これには「錯覚」を上手く起こさせる技術が必要になってきます。位相を意図的に操作すると違和感が生じることもあるため,あくまで自然さを保ったまま楽器音から分離し,空間的な広がりを感じさせるように収録から編集までトータルなコントロールが必要でしょう。

私は録音は素人以下なのであくまで仮説ですが,楽器を定位させるには左右chの相関が関係することから,定位させずに広がりを持たせるのもこの左右chの「相関」が鍵になると考えます。少なくとも左右chの残響成分が無相関であれば楽器の定位から外れ,違和感なく広がりを持たせることができるのでは?と思います。まあここはプロの方の得意分野でしょうからお任せするしかありません。
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昨日の記事でも書いた通り,私は残響を嫌っています。しかし,豊かな残響が含まれる録音を好む方も多数いらっしゃいますから,残響を排除した録音というのは残念ながらほぼ期待できません。少なくとも上記の3点を配慮して残響を取り入れた録音をしてくだされば,私のような嗜好を持った者でも納得する録音ができるであろうと思います。 (本当はもちろん「残響ありき」の固定観念から脱却して欲しいんですけどね...)

せっかくの素晴らしい演奏を録音で台無しにしないで欲しい... これが私の望みであり,お願いです。

なお,私の録音に対する考え方は,以前より何度かこのブログ上でも述べています。「好録音について考える」カテゴリも併せてご参照いただければと思います。

長文・乱文,失礼しました。
最近感想を書かせていただいたいくつかの無伴奏ヴァイオリン/無伴奏チェロの録音は,いずれも私の「好録音」という観点を外したとしても良好とは言えず,極めて残念なものでした。音楽は素晴らしいのに録音がそれを台無しにしています。こういった録音に出会うたびに,録音技術は果たして1950年代から進歩しているのだろうかと疑問に思えてなりませんし,過去の名録音に何にも学んでないと思ってしまいます。

あくまで私見ですが,まずは楽器の音がありき,第一優先であり,残響などの空間を演出する間接音はあくまで補助的な位置づけだと考えています。何をおいても楽器の音。私の記憶にある過去の名録音は総じて楽器の音が大切に扱われていました。昨今の多くの録音は,この優先順位が逆転しているように思います(さらに言うと,間接音の「質」も悪い)。結果,楽器の音が間接音に締め出され,質感やニュアンスなどが失われていると思うのです。私が残響を嫌う理由はここにあります。

オーディオで音楽を再生するということは,録音している空間の音場をリスニングルームで擬似的に再現する行為と考えることが出来ると思います。録音する空間の膨大な音響の情報を,空間内に設置したわずかな数のマイクで拾い,限られた容量の器(メディア)に詰め込むわけですから,そこに記録される情報は録音空間の音響のほんの断片に過ぎず,再現するには情報量が圧倒的に不足します。録音空間の音響をどのように捉え,この限られた器の中にどのように詰め込むかが鍵だと思います。

残響のような間接音は,空間性を再現するものであり,上手く使えば音楽を豊かに演出するものではありますが,それ自体は音楽そのものの情報をほとんど持ちません。楽器の音に対して間接音の比率が高くなればなるほど楽器の音の情報は前述のように締め出されていきますので,この比率を適切に扱うことは非常に重要です。

もう一点重要なのは,いかに情報量の多い状態で楽器の音を捉えるかということで,これはすなわちマイクをいかに適正に設置するかということにかかっていると思います。楽器から離れるほど質感やニュアンスは失われていきます。またマイクで捉えられる音は本来の音のごく一部であり,編集してメディアに収められ,スピーカで再生して耳に届くまでにさらに相当多くの情報が失われていきます。こうした収録・編集・再生で失われていく情報量を見越したマイク設置が肝だと考えます。過去の名録音は,やはりこういった点においても配慮がなされていたと思うのです。

長々と書いてきましたが,以上をまとめると,私が録音に望むことは,下記の2点となります。

(1)楽器の音を第一優先に,間接音はあくまで補助的に(「質」も大切!),適正なバランスで収録・編集して欲しい
(2)楽器の音は可能な限り情報量の多い状態で収録するようマイク設置を配慮して欲しい

ぜひとも過去の名録音に学び,良質な録音を残していただきたくお願いする次第です。

長文・乱文,失礼しました。

最後に,私が理想とする「好録音」にかなり近い録音の例を載せておきます。以前にも紹介したYouTube動画ですが,残響は皆無,適正なマイク位置で情報量の多い状態で録音され,質感高くニュアンス豊かに音楽が伝わってきます。残響が音楽性にほとんど関係ないということを示す好例でもあると思っています(ほんと「残響ありき」の固定概念から脱却してほしい!)。また私の考える「好録音」はハイレゾや圧縮などとも関係のない軸で見ていることもわかっていただけると思います。いささか極端な例ですが,参考にしていただければと思います。

私の録音についての考え方については,このブログでも以前より述べてきました(→「好録音について考える」をご参照ください)。前のエントリで紹介したNPR Music Tiny Desk Concertでは,私の理想とする環境と録音がほぼ実現されていると言っていいです。

例えば,このヒラリー・ハーンの出演したビデオです。(バッハの無伴奏ヴァイオリンから2つの楽章が演奏されています)



このような環境での録音ですから,残響は皆無です。しかし,楽器から発せられるニュアンス,タッチ,質感が残響や反射音に邪魔されることなく良く伝わってきます。オーディオ的なクオリティはさておき,この録音は距離感も適切ですし,音色や音の伸びも悪くなく,演出感もなし,かなり私の理想とする要件を備えています。私がこのブログで述べてきたことを理解していただく好例です。このように,ホールで録音されなくても,残響が全くなくても,それらは音楽性には関係がないことがこの例でもよくわかります。

我々一般人が生のクラシック音楽に触れられる機会は,ホールでのコンサートがほとんどですが,それがクラシック音楽を楽しむベストな環境かどうかはそれぞれの人の価値観によります。私の場合はホールで聴くよりも,このYouTube動画のような環境で聴く方がはるかに好きです。しかし残念ながらそんな機会はほとんどありません。そして,現在のクラシック音楽のディスクはホールでの録音に偏りすぎていて,メディアを通じてさえそのような楽しみ方が出来ないのが現状です。この動画のような録音がもっとあっても良いと思うのですけどね。現実には体験することが難しいことを体験させてくれるのもメディアの役割だと思いますので。

ちなみに,ニコラ・ベネデッティのビデオも公開されています。
Nicola Benedetti: NPR Music Tiny Desk Concert

この中で,バッハの無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌを弾いていますが,長調の中間部が省略された中途半端な演奏で残念でした...

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「録音を取り扱うブログなのだから,録音評価に対するスタンスを明示すべき」というアドバイスをいただきました。おっしゃる通りなので,ご理解いただけるかどうかはわかりませんが,ここでそれを表明しておきたいと思います。

■私の好む録音

私の録音へのこだわりについて少し説明をしておきたいと思います。私の好む録音は端的に言うと「演奏者を身近に感じられる録音,演奏者の存在が見えるような録音」です。いわゆる「優秀録音」とは少し視点が異なりますし,一般的に好まれるホール音響を再現するような録音とも異なります。

たとえば家に仲間を呼んでカルテットを演奏する(あるいは招待してホームコンサートを開く),子供がリビングでピアノを弾いているのを横で聴く,こういう場合に耳に入ってくる音・音楽を想像してみてください。これが私が聴きたい音・音楽に最も近いと言えると思います。

演奏者が弦に弓を置くところから最後の消え入る瞬間の音まで,さらに,弦の上を指が滑る音,演奏者の息づかい,などなど,演奏者が音楽に込める極めて微妙なニュアンスまで総て耳に飛び込んできます。こういう音・音楽を録音でも聴きたい,というのが私の望みです。

とはいえ,実際にはこんな録音はないわけで,これをもう少し実際の録音に則して言うと,

  ・楽器そのものが発する音の質感(楽器の肌触り)をストレートに伝えてくれる録音
  ・奏者が楽器を通して発する表現のニュアンスを余さず伝えてくれる録音

といったところでしょうか。具体的には次のような要件を満たしているかどうかということになると思います。

  (a) 間接音(響き・残響)より楽器からの直接音が支配的で純度・明瞭度が高い
  (b) 楽器音を適切な距離感で捉えている
  (c) 個々の楽器が分離よく見通しよく聴こえる
  (d) 高域のヌケがよく,曇りがない
  (e) 音色が自然で(響きなどの外的要因による)色づけがない

私の録音評を読んでいただくと,残響を極度に嫌っているということがわかると思います。一般的にクラシック音楽の録音は,ホールでの音響を再現し,心地よい残響を伴う音楽を提供しようとしているように思います。しかし多くの録音において,この残響は心地よさを演出するよりも,楽器音を濁し音楽の微妙なニュアンスといったとても大切な情報を消し去ってしまう弊害の方が大きい,と感じています。これがその理由です。

こういう点をご理解いただいた上で私の録音評を読んでいただければと思います。

■SACDについて

あともう一点ご承知おきいただいた方が良いであろうSACDの扱いについて説明しておきます。私が取り上げるディスクにはSACDハイブリッドも多くありますが,基本的には評価するのはCD層の音で,SACD層の音は評価しません

SACDの音質の良さ,その価値は私もそれなりに認識していますし価値も認めています。しかし,私が音楽を聴く時間のほとんどはSACD非対応の機器を使っており,残念ながらSACDの音をじっくり聴ける状況にありません。私にとってはCD層こそが大切であり,いくらSACD層の音が良くてもCD層の音作りが悪いものは私にとってほとんど価値がないのです。

という理由から,あえてSACD層を無視してCD層で評価しています,ということをあらかじめご了解いただきたく,よろしくお願いいたします。
前回に引き続き,理想的なエコータイムパターンを得るための考え方について述べます。

収録に使用するホール,演奏者の編成や配置,そのときの音響条件など,セッション毎にそれらの条件は様々変わります。これらの諸条件を鑑みて,(1)各楽器からの直接音をどのようにどんな距離感で捉えるか,(2)直接音と残響のバランスをどう取るか,(3)濁りの原因となる反射音をどう抑えるか,これらを見極めて適切なポイントを見つけることが重要になります。そしてこれらは全てマイクセッティング(どんなマイクを何本,どう配置し,どうミキシングするか)にかかっていると思います。

(1)の直接音の捉え方は,残響云々以前の基本です。近すぎてもきつくなりすぎますし,遠すぎても距離減衰によって鮮明さが失われてしまいますので,適切な距離感が非常に大事です。

(2)と(3)は似たようなことを言っています。反射音にしろ残響音にしろ,直接音を濁さないようにするためには,反射音や残響音の比率を,直接音によるマスキング効果によって気にならないようになる程度のレベルに抑えることが必要になります。

特に小ホールや教会などの比較的容積の小さな収録環境では,直接音に対して残響音の比率が高くなりがちです。また150msecという時間を割り込んで残響が届きやすくなり,音の濁りが発生しやすい条件が重なります。従ってこういう環境での録音は,大きなコンサートホールで収録する場合よりも,より注意深くバランスを見ていかなければなりません。このあたりはもう勘と経験,試行錯誤で最良のセッティングを探していくしかないでしょう。

録音の基本は結局のところ直接音をいかに適切に捉えるかにあると思うのです。雰囲気云々の前に,もっと音楽の核となる直接音を大切に扱って欲しいのです。そして直接音を適切に捉えた上で,調味料としての残響でいかに素材の風味を引き立てていくのかを考えて欲しいのです。

残響の取り込みを肯定するつもりはないのですが,取り入れることを是とするならどのように取り入れるべきかを考えてみたいと思います。

これに関し,私が以前に参加したAES(Audio Engineering Society)日本支部主催のAES東京コンベンション2005のワークショップでのデヴィッド・グリジンガー氏(レキシコン)の講演が参考になりますので,まずこれを紹介します。

講演のタイトルは「サラウンド録音を成功させるには(心理音響,音響物理との関係をふまえた成功の秘訣)パート2」で,その中で,響きが多い空間でマイクが音源から遠すぎる場合に発生する“濁り”について言及がありました。以下,私の理解に基づいて要旨をまとめます。

  • クリアで濁りのない録音のためには,残響音のエコータイムパターンが重要
  • 直接音に対し,20-50msecの初期反射音と150msec以降の残響音,というパターンが理想的
  • 50-150msecの反射音は“濁り”につながるので抑える必要がある


初期反射音は直接音を補強するとともに音源の奥行き感,立体感を出す効果があるとのことです。50msecくらいまでということは,直接音との経路差はだいたい17mくらいになります。ステージだと後方の反射壁からの反射音がこれくらいでしょうか。残響は150msecより大きくなければならないとすると,直接音との経路差は50m以上必要になります。

上記の講演内容はそれなりに納得性があるように思います。残響がそれほどない,あるいは残響時間が短いのに,楽器音が曇ったり濁ったり感じられる録音によく遭遇しますが,これは50-150msecあたりの反射音レベルが大きいのではないかということが想像できます。

では理想的なエコータイムパターンを得るためにはどのように考えればよいか。次回これを考えたいと思います。

■参考url: デヴィッド・グリジンガー(David Griesinger)氏 Home Page
http://www.davidgriesinger.com/

優れた演奏者は,演奏している空間の響きを感じ取りながら,聴衆に届く残響を計算に入れて楽器から発する音をコントロールしているはずです。そう思うと,音源からの直接音と残響のトータルで音楽が完成すると考えざるを得ません。しかし,録音を通して聴取者に届く音からは,演奏者が意図した本来のトータル効果はもはや得ることは出来ません。

従って,演奏者は,その演奏が録音を通して聴取者に届くとわかっているときには,残響のカクテルパーティー効果は期待できないとして,あらかじめそれを計算に入れ,残響の効果を期待しない発音コントロールをすべきだと考えます。

また録音の担当者も同様に,残響のカクテルパーティー効果が期待できないことを計算に入れ,(1)音の明瞭性を意識的に一段上げる(たとえば音源にもう一歩近づく),(2)残響音比率をカクテルパーティー効果が得られない分だけ意識的に下げる,といった音作り上の配慮をすべきと考えます。

こういったことを演奏者と録音担当者が意識を合わせて音をデザインして欲しいと思います。

カクテルパーティー効果という用語をお聞きになったことがあろうかと思います。これは,パーティーのような騒がしい環境でも話し相手のしゃべっている内容がちゃんと聞き取れることを指しています。人間は周囲の騒音をフィルタリングして話し相手の声を取り出す能力を備えています。

しかし,例えばICレコーダで録音した音声を聞き直すと,その場で聞き取れたはずの相手の声が周囲の騒音に紛れて非常に聞きにくいといった経験はないでしょうか。これは,録音という行為によって,カクテルパーティー効果に必要となるその場の音響的情報がごっそりと削ぎ落とされてしまうためだと推察します。

私はこれが音楽における残響にも当てはまるのではないかと考えています。

音源から放射された音はあらゆる方向に放出され,壁面反射によって複雑で膨大な情報を持った音場空間を作り出します。その中にいる聴衆には,音源からダイレクトに届く直接音の他に,あらゆる方向からそれぞれ異なるタイミングで残響が届きます。聴衆は残響ではなく音楽そのものに注意を向けますから,残響を含む音の中から音楽だけを選んで聴き取ります。それは,カクテルパーティー効果に必要なその場の膨大な音響的情報があるから可能になります。

一方録音された音楽を聴く場合,メディアに収められる段階で,音楽と残響は一つの信号に混ぜられてしまいます。そしてそれを再生すると,聴取者には音楽も残響も等しくスピーカからの直接音という形で耳に届きます。聴取者はステレオ再生の両耳効果による心理作用(錯覚)によって仮想的に空間性を感じようとします。しかし,そこには録音現場にあった膨大な音響的情報はもはやなく,従ってカクテルパーティー効果は働きませんから,いくら音楽に注意を払っても残響を分離して音楽のみを聴き取ることはできません。

響きのよいコンサートホールでは音楽を楽しめるのに,それを録音したものは残響が鬱陶しくヌケの悪い冴えない音に感じてしまうのは,これが原因ではないかと推測します。

結局のところ,残響というものが形成する音場空間そのものが情報なのであって,そこから切り出した「残響音」自体には何の情報もないのではないかと思うのです。

最近発売されるSACDは大抵5.1chのサラウンド対応となっていますが,これはリアルな音場空間を再現しようとするアプローチであり,方向性としては正しいと思います。

■参考url: TOA株式会社 - 音が聞こえるってどういうこと?
http://www.toa.co.jp/otokukan/otomame/1-1.htm

次に残響について考えてみたいと思います。

音というのはご存じの通り1秒間に約340mの距離を進みます。例えば,音が発せられてから1秒後に届く音は約340mの距離を経てきています。音というのは距離減衰によって距離を経れば経るほど音が小さくなりますが,高域減衰という低域に比べて高域が落ちやすい特性によって,元々の音が持つ情報量がどんどん減っていってしまいます。(もちろん壁面反射の特性にも影響されます)

残響というのは,音源から発せられた音が壁面反射を繰り返し,音源からの直接距離の何倍もの経路を経て届く音です。あらゆる経路を経由して届くので,パルス的に発せられた音であっても連続的な残響音として聞こえてきます。残響はこのように長い経路を経てきた音ですので,それ自体には元々豊富に含まれていた音楽的情報はほとんど残っていません。

私は,残響というのは,いわば調味料のように働くものであると考えています。ほんの少量,上手く使ってやると,素材の持つ良さを引き立て,より美味しく味わうことが出来るようになります。しかし,それが過ぎたり使い方を誤ったりすると,素材の良さを損ない,一体何を味わっているのかわからなくなってしまいます。

前回,録音とは音楽のエッセンスをメディアという有限容量の器に収めることであるといった主旨のことを述べましたが,残響というそれ自体音楽的情報をほとんど含まない成分が増えると,その分音楽的情報を豊富に含む直接音の割合が減少してしまいます。私が残響を目の敵にする理由はここにあります。

結局,素材に対してどういう調味料をどういう配分で使うかということにかかっています。これが「優秀録音」と「好録音」を両立するキーポイント(そして難しさ)だと思うのです。私が思うに,多くの録音は調味料が多すぎて,あるいは調味料の使い方が悪くて素材の良さを損なっているものがあまりに多いと思うのです。(もちろん素材自身をどう捉えるかも重要なのですが...)

■参考url: TOA株式会社 - 体育館の音作り-1
http://www.toa.co.jp/products/manabiya/oto/3-4.htm
TOA株式会社は業務用音響機器の会社です。このページの一番下の方に高域減衰についての記述があります。残響と明瞭性の関係についても言及されています。PAの話ですが,参考になります。親ページの「なるほど音の教室」特集のページは,ざっと見た感じ,音響理論に基づいて正しくわかりやすく説明されており,好感を持ちました。

私の好録音の考え方については『「好録音」について(08/06)』で簡単に説明しましたが,こういう録音にフォーカスしたブログをやっていく以上,なぜそういう考えに至ったのか,その理由や背景についてもう少し詳しく正しく皆さんに伝えておきたいと思っています。とはいえ,実は私自身も十分に頭の中が整理できていない状態ですので伝えようがありません(^^;。このブログ上で考えを整理しつつ少しずつお伝えしていきたいと思っていますので,気長にお付き合いいただければ幸いです。

今回は「録音」について考えてみます。

録音とは,音楽が演奏されている空間の音を切り取り,信号に変換してメディアという器に収めることです。音楽が演奏されている空間は音で満たされ無限とも思える膨大な音響的情報量を持っています。これを空間上のたかだか数カ所のピンポイントに設置されたマイクで捉えて,最終的にはわずか2chの信号にまとめられてメディアに収められます。

メディアという有限な容量の器に収められる情報量はたかが知れています。収録空間の膨大な情報量に比べれば微々たるもので,この観点では,たとえばCDをSACDにしようがたいして変わりません。『「好録音」について(08/06)』で私の好録音の観点ではメディアの性能差はほとんど関係ないと述べた理由の一つがこれです。

従って,この限られた容量の器に何をどう収めるのかが非常に重要になります。私は,音楽としての情報量を出来るだけ多く持った音をどれだけ上手く詰め込んでいるか音楽のエッセンスをいかに上手く抽出して収めているか,これが「好録音」のポイントになると考えています。

今後,もう少し具体的に考えていきたいと思います。

「好録音」に対する私の考え方について少し説明しておきます。

私の言う「好録音」とは,オーディオ誌等で言われる「優秀録音」とは異なります。あくまで私の主観であり,また,はっきりと自分の中で定義できているわけではないのですが,あえて書くと,

  (1) 楽器そのものが発する音の質感をストレートに伝えてくれる録音
  (2) 奏者が楽器を通して発する表現のニュアンスを余さず伝えてくれる録音
  (3) ハイファイオーディオ機器でなくても音楽が十分に楽しめる録音

といったところではないかと思っています。そして,より具体的には,

  (a) 間接音(響き・残響)より楽器からの直接音が支配的で純度・明瞭度が高い
  (b) 楽器音を適切な距離感で捉えている
  (c) 高域のヌケがよく,こもり感がない
  (d) 音色が自然で(響きなどの外的要因による)色づけがない

といったあたりがポイントになります。これらは録音環境,マイクセッティング,ミキシング・マスタリングで九割九分決まると思っています。例えばCDやSACDといったメディアの性能差は「好録音」の観点ではほとんど関係ありません(もちろん一定水準を満たしている前提で)。

レコード芸術誌やSTEREO誌で紹介される,いわゆる「優秀録音」もよく聴きますが,楽器そのものの音よりも収録環境の音場の再現に力が注がれた音場重視型の録音が傾向として多いように感じます。こういう録音は,総じて,(a')間接音が支配的で,(b')距離感があり(音源が遠い),(c')高域のヌケが悪く,(d')収録環境の癖のある響きで色づけされているように思います。(かつて一世を風靡したDENONのインバル/フランクフルト放送交響楽団によるワンポイント・ステレオマイクによる録音が典型例かと)

これらの「優秀録音」は,確かにハイファイオーディオシステムで聴くと良い音場が再現できるのかもしれませんが,そうでないシステムで聴いた場合には,残念ながらたいてい冴えない音になってしまいます。そして「優秀録音」になれなかったその他多くの優秀録音くずれの録音は・・・

残念ながら「優秀録音かつ好録音」はあまり多くないのが現状です。より多くの人が音楽を楽しめる「優秀録音かつ好録音」盤がもっと増えて欲しいと願っています。そういう観点で,このブログが少しでも貢献できればと思っています。

乱文失礼いたしました。

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